のんべんだらりといきましょう

はてなダイアリーから引っ越してきました。

音楽戦士MUSIC FIGHTER 奥田民生SP

青木さやかトークということで、音楽ネタだけでなく普段はあまり聞かれないであろうなことをいろいろと質問されていた。そして瓢瓢だらりと答える民生は完全に酔っ払いのオヤジ…。
Q:「付き合ってください」と告白したことありますか?
A:今まで言った事がない。それはいろいろとあるでしょ、技が。
Q:「私たち何なの?」って聞かれたことはありますか?
A:ない。
Q:「別れよう」という話はしたことありますか?
A:まぁ、それはねぇ。
と、あまり話さないようなネタに照れながら答える様は、可笑しかった。でも、見ていて恥ずかしくもあり。
そんな話ばかりではなく、ユニコーンファン(=私ですが!)にとっても心に迫る話もあった。


「民生さんにとってユニコーンとはどういう存在だったのでしょうか?」という質問に対しての民生の話。

「バンドをやるということは、例えばローリングストーンズとかね、ずっとやってるでしょ。じいちゃんになっても。そういうのはかっこいいじゃないですか。やっぱりバンドを組んで、しかも東京に出てきてデビューするって言うからには、ストーンズみたいにじいちゃんになってもユニコーンじゃないと格好悪い訳ですよ。ホントはそっちがいいんですよ。けどまぁ、なんかぁなんかで解散して『あぁ〜』みたいな。『ストーンズになれなかった』みたいな。
バンドっていうのはですね、一生のうちなんだかんだで1個なんですよ。これが例えばユニコーンを解散して、別のバンドを組んでそれがすごいヒットしたとしても、死ぬ時に『奥田民生がいたバンドは何だ?』って言ったら、多分ユニコーンなんですよ。それだけに、その1個のバンドってのは、ホントは長くやる方が絶対カッコいいんですけど。まぁ、だからナントカ高校卒業みたいのと一緒ですよね。やめた時は悲しかったですよ、そこが。例えメンバーとケンカしていようとも。」

バックでは「すばらしい日々」が流れているし、深夜に涙目の私。「バンドは一生のうち1個」「奥田民生のいたバンドは、ユニコーン」は本当に本当にグッときた。今でも自分の中でユニコーンは別格であって、他のバンドさんとは別の場所にいる人たちなので、民生の口からこういう話を聞けたのは嬉しいし、同時に悲しいっていうか切ないっていうか。
でも、その後再び青木さんに「今の民生さんが20年前に戻ったとしたら、ユニコーンをやはりやりますか?」と質問されて

「さぁ、どうでしょう?他にもあったら、他に行くかもしんないし。」

と笑いながら話す民生。ここら辺が民生。

TRICERATOPSのコメント&「ヒゲとボイン」のカバー演奏が流れたのだが、和田さんやっぱり民生に似ているんだよねー。並ぶと全然違うんだろうけど、系統というか全体的な顔の印象が。和田さん≒キムタクのモノマネをするホリ≒民生って感じか?