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青森旅行 2011夏 その1

7月22日〜24日、青森に行ってきました。


夕方出発の新幹線はやて号に乗り、新青森まで移動。新幹線には「がんばろう日本!がんばろ東北!」「つなげよう、日本。」のキャッチフレーズロゴが描かれていました。この日は青森に到着したのが9時過ぎになってしまったので、狙っていた味の札幌分店の味噌カレー牛乳ラーメンは食べられず。お店が閉まっていました。定休日でも閉店時間でもなかったので、臨時休業だったのかな。残念。

八甲田山雪中行軍遭難資料館

青森駅前からバスで30分ほどの場所にあるのですが、バス停を降りても特に「資料館はこちら」などの標識はなく一瞬焦りました。バス停から資料館まではまっすぐ進むだけなのですが、800メートルくらい距離があったのと、なだらかな坂道が続く事、車は通るが歩いている人が誰一人いないことなど、初めての場所でドキドキでした。「やばい、私も遭難する!八甲田山との戦いは始まっている!!」などと妄想しながら進んでいると綺麗な施設が見えてきました。平成16年にリニューアルされたんだそうです。

日露戦争前の明治35年に陸軍の第5連隊が八甲田山での冬季訓練中に遭難し、参加者210名のうち199名が命を落とすという事件がありました。その時の資料が展示してある資料館と、隊員たちの墓標が立てられている施設です。映画『八甲田山』、新田次郎八甲田山死の彷徨』などでも知られていると思います。

資料館に入ってすぐのところに、立ったまま仮死状態で発見された後藤伍長の像がありました。

行軍の様子がミニチュアで展示されています。

当時の服装。兵士たちが背負っていたのと同じ重さの背嚢や、コート、帽子も置いてあり、自由に着用できるコーナーがあったのですが、この日は一人行動だったため、背負ったところで写真も撮れず残念でした。背嚢はかなり重かった。

遺品など。


展示室を見終わったところで、ボランティアガイドさんが声をかけてくれて墓地の説明をしてくれました。私は映画や小説でこの事件を知ったのですが、当然ながら小説は事実を元にしたフィクションの部分もあるので、事件との相違点や新田次郎が取材した記者の話、生存者のその後の話などいろいろ聞く事ができました。

幸畑陸軍墓地。亡くなった兵士たちの遺骨は、それぞれの地元へ戻っているものがほとんどなので(分骨している人もいるそうですが)、この墓標には何も入っていないそうです。今でもお参りに来る遺族の方もいらっしゃるとの事。

神成大尉と山口少佐の墓。遭難で命を落とした者は、発見された日付が命日になっているそうです。


見学を終え、帰りは資料館前のバス停から乗車して青森駅に移動。

特急つがるに乗って、新青森駅に向かいます。一駅(約5分)だけの特急の旅。