のんべんだらりといきましょう

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僕らは奇跡でできている #3

見ながらずっと重苦しい気持ちになっていた。冒頭、チビ相河くんがみんなと同じにできずに悲しい思いをする場面から始まるけど、2話ではそこで感じる悲しさとかやるせなさは、本編中のにこやかなやり取りや、相河を受け入れてくれる環境を見ているうちに中和されていった。だけど、今回はずーっとその重苦しい気持ちを引きづったままラストまで来てしまいました。
まず動物園のサル山のボス交代劇がずっしりと来た、群れを維持するために必要な事だし、そうやってサルたちが生きているのだから、可哀想だと思うのは人間の物差しでしかないのだけれど、体力のある若手に突き上げられ、周りもそれに倣って敬意を表さなくなり、徐々に居場所を失っていく様は辛い…。
その憂鬱さに上乗せするように、虹一くんの件があって、もう見てるのが辛かった。前回、起こりそうなトラブルを総スルーしてくれたのとは逆に、悪手からの悪手の連続で見事なまでに問題を積み立ててくれました。
虹一くんにとっては、スタッフ専用口から動物園に入り、興味のある動物を思う存分自由に見て回り、いろんな発見をすることができるそれは夢のような時間だったと思う。だけど、大人(親)はそれを良しとだけすることはできず、制限してしまう事もある。虹一くんが時間に遅れて、でもニッコニコで帰ってきたとき、相河は探検の成果を聞き、共に喜び褒めたのだけど、私がその時考えたのは「では、嘘をつき(親に連絡していない)、時間を守れなかったことや、虹一くんを心配して大勢が動いていたこと」をいつ注意すればいいのか、ということだった。先に褒めて後からしかる?先にしかって後から褒める?同時にって可能?
あの場面でお母さんがいなくてよかったなと思ったのは、きっと彼女は相河が褒める隣で心配のあまり虹一くんを怒ってしまい、流れ的に「悪者」になってただろうから。虹一くんの探究心や自立心や感性を伸ばし、窮屈な日常から解放してあげたのは相河であり、それはとてもいいことだから。でもなぁ…って、ずっとモヤモヤしていてこのモヤモヤは何だろうと考えた結果、私は「ずるい」って思ってるのかなぁと。だって、あんなのできないじゃん!いろんな事に囚われてしまっている自分が親の立場だったら…たぶん無理です。では、引率の立場だったら…それも無理です。約束の時間に遅れて閉園になったら、その場で「帰ってくると思ったから」と信じて待ってられずに探しに行ってしまうと思う。「ずるい」すなわち「うらやましい」なのか。
相河の生きづらさとか理解されなさを決して無視しているわけではなくて、あの場面で虹一くんの気持ちを理解して、彼のためになる事だけを考えて行動していたのが「うらやましい」のかもしれない。
卓球台のネットをリスの橋にとか、サル山のボス猿は現状維持(イッキュウはメスたちの支持を集められなかったのかw)だとか、明るい次回へのまとめ方でもあったので引きずらずに次回を楽しみたいと思います!って、ドラマに「ずるい」とか思って語っちゃう自分こわいw